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2010.02.26/ 18:23(Fri)
産経新聞「私の正論」に応募していた人がいましたね。自分の主張を、世間に半ば強引に押し付けることが出来、なおかつ大金さえも手にした。天才にしか与えられていない「サムシング・エルス」(何か)を持った人なのでしょう。

私は、作文にしても音楽にしても写真にしても、いわゆる「コンテスト」みたいなものに応募したことはありません。

(「談話室」くらいなら、若き東京時代から老いた名古屋時代に、複数回載ったけど。ああオレも、万札が欲しいよーw)



(何でだろうなあ?・・・・)と、いい機会だから少し考えてみた。

ん?「落ちるからだろ」って。うん、まあね。ちょっと、ちょっと、ちょっとお。それじゃ文章ここで終了しちゃうよ。何か原因が有ると思うよ(と他人事みたいに)。



誰にも遥か昔の出来事だが、かなり覚えている事がありますよね。少し自分を語らせていただきたい。(いつもだけどゴメンネ)

私が工業高校電気科時代(江戸時代から数えた方が早い頃)のことだが、何故か「国語」「古文」の授業もあった。

ある日の国語授業で、「君たちは主に現場系の中堅技術者になる人間だ。次の授業までに四日市公害問題をテーマに作文を書いてきなさい。社会に貢献する技術者とは何かを、君たちに考えてほしいのだ」とか何とか教師が言った。

当時、私が読んでいたのは、「MUSIC LIFE」「MEN’S CLUB」「平凡パンチ」「丸」くらいのもので、新聞紙はテレビ欄しか不要だった。

とは言うものの、「四日市ぜん息問題」くらいの知識は辛うじて有していた。

もう作文は残って無いし、内容も殆ど覚えていないが、ある理由により、かなり断片的に覚えている部分がある。

それをピックアップすると。

「当初、四日市市民は、大石油コンビナート誘致を誇りに思っていた」

「何の犠牲も無くして技術の進歩、時代の進歩など有り得ない」

「訴訟問題が起きているが、共産党が頑張っているらしい。純技術問題に政治思想を絡めるのは反対だ」

「新聞の投書欄で子供が、『このままでは私たちは死んでしまいます。工場はもう無くなってほしいと思います』みたいに書いてあったが、工場が無くなれば、そこで働く大勢の従業員の生活は誰が面倒をみるのだろう。投書した子供だろうか?」



文面は当然正確ではないが、こんな感じで確実に書いた記憶がある。

ところで、作文提出から数日後に、国語教師が、「木村君、放課後に職員室に来なさい」と言うではないか。

何で呼ばれるのか皆目見当もつかなかったが、行って分かった。

これも殆ど内容は覚えていないが、かなり私も盾突いた部分だけに微かに記憶が残っている。

要するに教師は私の性格を、慈悲の心も無く、協調性に欠ける欠陥人間と見下し、共産党や社会党などが四日市市民の安全な生活を守るために、どれだけ努力しているのか分からないのかと興奮し、結局、もっと社会を勉強しなさい、と説教を垂れたのだ。

完全に目線は上からだった。

(オレの作文を勝手に批判するんじゃねえよ。みんなが同じような文章書いてみろ、面白くも何ともねえじゃねえか)

と、思うと同時に、(このセンコーも日教組だろうなあ)と判断した。

何故なら、私のクラス担当では無かったが、「応用数学」のセンコー(中島なんとか)は、平気で授業を休んで、組合活動に全精力を傾注している革命屋だった。授業で、イデオロギー話に脱線することも多々あるという評判だった。

そんなような「不良教師」が数人存在した、正に、「生徒に全面的自由を運動」の黎明期的状況の学校だったのだ。

(作文は自由に書かせないくせにな)

現に、私が卒業した2年後に、長髪と革靴が許可されている。



ところで振り返るに、どうやらその作文事件が、他人から自分のやることを「とやかく」言われるのが私にとっては大嫌いになって行く「トリガー」の大きな「ひとつ」であることは間違いなさそうなのだ。

ハッキリ言って、私の人間性を完全否定する勢いで、ネチっこく責められたのだから。



さて、自分語りは終わるのだが、もうひとつだけね。



1972年の「あさま山荘事件」 5人の逮捕者の中のひとりに「加藤元久」という男がいた。

当時、彼は16歳で現役高校生だった。

その学校は、「愛知県立東山工業高校」。 つまり、私の母校である。



「団塊S23キムラ」
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