「中川昭一」氏の死を知った時に
「Ch桜」を観ていたら、青山繁晴さんが「アイルトン・セナ」の話を少々していた。
当分、記事作成は遠慮しようと腹を決めたところですが、「F1」、しかも「音速の貴公子=アイルトン・セナ」が出ては、「書くな!」と言われても書きたくなるのです。それには明確な理由が有るのですが。
F1は、1964年に我が日本のメーカー「HONDA」が、1.5リッター12気筒エンジンを、(何と)横置きに積んだ「ホンダRA271」でデビューして以来、私は追っかけていた。
当初、テレビ中継は録画も含め皆無だったが、日本人の「中島悟」さんが、世界中で数十人しかいないF1ドライバーに選ばれてからは、(あの)フジテレビがテレビ中継するようになり、全マシン、全ドライバーの名を空暗記するほどまでに一時は傾倒していた。
ところが私の職業はビル管理職であり、その当時は24時間勤務のため、出勤日深夜に放送がある日は仮眠時間と重なる事情から、やむなく家のビデオに録り、帰ってから観るという方法をとっていた。
(現地時間)1994年5月1日、その日は「サンマリノGP:イモラ・サーキット」が深夜に放送される日だった。
私は当然、家のビデオデッキは録画セットしてあるので、24時頃に仮眠に入った。
昼間の疲れから即睡眠に入ったが、2時頃?だったと思う、フト目が覚めた。
それは時々あることでもあった。家とは違い職場のベッド、しかも深夜でも設備異常が発生すれば即対応、という立場が頭の片隅を支配しているからだろう。つまり、浅い眠りなのだ。
しかし、そんな時は再び眠るように努力する。決して起きていようなどとは思わないのだ。
だが、理由は全く分からないのだが、その日は目が覚め、何故なのだろう?家ではビデオデッキが間違いなく回っているのに、「テレビを観るか」という気が起きたのである。24時間勤務を続けていて全く初めてのことだった。
なお、仮眠室のベッドからテレビのある機械室事務所へは、一旦建屋を出て鍵をかけ、50メートルくらい歩き鍵を開けて入る。
けっこうパジャマに着替えた人間としては、やりたがらないことなのだが。
さて機械室事務所に入りテレビをつけると、3人の男が並んで映っていた。
画面中央に三宅正治、右側に今宮純、左側に川合一仁。
(・・・・何か暗い表情だな・・・)
テレビのボリュームを上げると、三宅アナは半泣きで喋っている。「泣き虫・今宮」こと今宮さんも当然涙声。川合さんは涙こそ無いが激しい落ち込み状態。後年、「涙の実況中継」と称された場面ではある。
「音速の貴公子=アイルトン・セナ」が事故死したと伝えているのだ。
イモラ・サーキット名物の、超高速コーナー「タンブレロ」を曲がらずに、ほぼ真っ直ぐコンクリートウオールに激突してしまった。
312Km/hで走行していて、激突寸前は210Km/h?220Km/hまで減速されていたという。
実はF1は、それほど危険では無く、現にその日まで約12年間ほどレースでの事故死は無かったのだ。
「何の力がオレにテレビを観に行けと命令したんだろうか?」
私は、現場系技術屋であるため、神がかり的な事とは無縁な性格なのだが、これは正直(しょうじき)不思議だった。
だって、その日以前には、何年間も、ただの1回も、仮眠していて起きて、テレビを観に行ったことなど無かったのだから。
放送終了間際に、今宮純さんは声を振り絞って言った。
「・・・・セナはいませんが・・・・それでも・・・F1は続いていくわけです・・・」
私は、中川昭一氏が死亡したニュースは、NHK討論番組中にリアルで知った。
実は、その時に、言葉には出てこないけれど思ったことがあるのだ。思い出せなかったが。何か類似的な状況に以前接したような気がしていたのだ。
現在(いま)私は、それが何だったのかを明確に言える。
「中川昭一さんはいなくなったが、それでも自民党は続くのだ、続かせねばならないのだ」と。
それを、無意識に思っていたのだ。
しかし、現実にF1は続いているが、自民党はどうか?
もう、「音速の貴公子=アイルトン・セナ」は過去の伝説になってしまった。
「自由民主党」も、そうなるのだろうか?
「団塊S23キムラ」
当分、記事作成は遠慮しようと腹を決めたところですが、「F1」、しかも「音速の貴公子=アイルトン・セナ」が出ては、「書くな!」と言われても書きたくなるのです。それには明確な理由が有るのですが。
F1は、1964年に我が日本のメーカー「HONDA」が、1.5リッター12気筒エンジンを、(何と)横置きに積んだ「ホンダRA271」でデビューして以来、私は追っかけていた。
当初、テレビ中継は録画も含め皆無だったが、日本人の「中島悟」さんが、世界中で数十人しかいないF1ドライバーに選ばれてからは、(あの)フジテレビがテレビ中継するようになり、全マシン、全ドライバーの名を空暗記するほどまでに一時は傾倒していた。
ところが私の職業はビル管理職であり、その当時は24時間勤務のため、出勤日深夜に放送がある日は仮眠時間と重なる事情から、やむなく家のビデオに録り、帰ってから観るという方法をとっていた。
(現地時間)1994年5月1日、その日は「サンマリノGP:イモラ・サーキット」が深夜に放送される日だった。
私は当然、家のビデオデッキは録画セットしてあるので、24時頃に仮眠に入った。
昼間の疲れから即睡眠に入ったが、2時頃?だったと思う、フト目が覚めた。
それは時々あることでもあった。家とは違い職場のベッド、しかも深夜でも設備異常が発生すれば即対応、という立場が頭の片隅を支配しているからだろう。つまり、浅い眠りなのだ。
しかし、そんな時は再び眠るように努力する。決して起きていようなどとは思わないのだ。
だが、理由は全く分からないのだが、その日は目が覚め、何故なのだろう?家ではビデオデッキが間違いなく回っているのに、「テレビを観るか」という気が起きたのである。24時間勤務を続けていて全く初めてのことだった。
なお、仮眠室のベッドからテレビのある機械室事務所へは、一旦建屋を出て鍵をかけ、50メートルくらい歩き鍵を開けて入る。
けっこうパジャマに着替えた人間としては、やりたがらないことなのだが。
さて機械室事務所に入りテレビをつけると、3人の男が並んで映っていた。
画面中央に三宅正治、右側に今宮純、左側に川合一仁。
(・・・・何か暗い表情だな・・・)
テレビのボリュームを上げると、三宅アナは半泣きで喋っている。「泣き虫・今宮」こと今宮さんも当然涙声。川合さんは涙こそ無いが激しい落ち込み状態。後年、「涙の実況中継」と称された場面ではある。
「音速の貴公子=アイルトン・セナ」が事故死したと伝えているのだ。
イモラ・サーキット名物の、超高速コーナー「タンブレロ」を曲がらずに、ほぼ真っ直ぐコンクリートウオールに激突してしまった。
312Km/hで走行していて、激突寸前は210Km/h?220Km/hまで減速されていたという。
実はF1は、それほど危険では無く、現にその日まで約12年間ほどレースでの事故死は無かったのだ。
「何の力がオレにテレビを観に行けと命令したんだろうか?」
私は、現場系技術屋であるため、神がかり的な事とは無縁な性格なのだが、これは正直(しょうじき)不思議だった。
だって、その日以前には、何年間も、ただの1回も、仮眠していて起きて、テレビを観に行ったことなど無かったのだから。
放送終了間際に、今宮純さんは声を振り絞って言った。
「・・・・セナはいませんが・・・・それでも・・・F1は続いていくわけです・・・」
私は、中川昭一氏が死亡したニュースは、NHK討論番組中にリアルで知った。
実は、その時に、言葉には出てこないけれど思ったことがあるのだ。思い出せなかったが。何か類似的な状況に以前接したような気がしていたのだ。
現在(いま)私は、それが何だったのかを明確に言える。
「中川昭一さんはいなくなったが、それでも自民党は続くのだ、続かせねばならないのだ」と。
それを、無意識に思っていたのだ。
しかし、現実にF1は続いているが、自民党はどうか?
もう、「音速の貴公子=アイルトン・セナ」は過去の伝説になってしまった。
「自由民主党」も、そうなるのだろうか?
「団塊S23キムラ」
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