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2010.10.08/ 12:44(Fri)
私の仕事は、歴史上の偉人を通じて人生を学ぶという演目で講演したり、社員教育をしたりしています。講演の前や教材を作る時にもう一度その時代のことを精査するのですが、その時に、なんと自分のイメージで物事を判断してきたのか気付かされることが多々あります。

たとえば、1840年のアヘン戦争に英国に負け、1894年の日清戦争で日本軍が圧勝し、その後の日支事変でも圧倒的な勝利を収めていたので、清国軍やCHINAは弱かったというイメージが強くありました。皆さんもいかがですか?

戦前のイメージですべての物事を判断していませんか?

しかし、1886年の長崎事件の事を聞くと、今とはまったく違うことが分かります。この事件は「鎮遠」・「定遠」ら4隻の北洋艦隊が長崎にやってきて、その水兵たちが長崎の町で乱暴狼藉を働き、警官隊と衝突双方に死傷者が出たという事件です。

なぜ、清国海軍の水兵が長崎の町で暴れたかというと、彼らが乗ってきた軍艦は当時世界の最先端の甲鉄艦だったからです。排水量は7556トンで一万トン以上を戦艦と呼ぶ軍艦の分類には足りませんが、1886年当時は世界最大級の軍艦でした。その主砲は回転式で砲塔があり、分厚い装甲で覆われていました。

当時の日本帝国海軍は、やっと4000トン級の軍艦を持っていましたが、分厚い装甲に覆われた砲塔などある軍艦は無く、清国の北洋艦隊を見た長崎市民はその強大さに度肝を抜かれたといいます。

その大きな軍艦に気持ちを大きくした清国の水兵たちは遊郭で飲酒、酩酊して乱暴を働きました。もし、自分たちの戦力が普通やバランスがとれていれば、こんな事はおきなかったと思うのですが、自分たちが乗っている軍艦があまりにも強大で、日本人もおそれていたのでしょう、侮蔑や奢りの部分がでてきました。普通ならそういうときほど、凛として誇りを持って行動するのが普通だと思われていますが、当時は軍事大国=なんでもしていいというような侵略的な行動が当たり前の時代だったのです。

世界各国の軍隊は、現在は変わってきていますが、まだその当時の意識のままというのが現代のCHINAです。

この長崎事件の詳細は、荒木肇先生のメルマガを参照してください。自衛隊で講義されている荒木先生のメルマガは兵器の性能や使い方など詳細に書いてあります。お勧めです。

1886年といえば、日清戦争開戦が1894年ですから私たちの先人たちは8年でこれに追いつき追い越したことになります。去年放送された「坂の上の雲」で秋山少尉が始めて東郷平八郎大佐に会ったときに、清国海軍の軍艦に入って主砲に洗濯物を干したり、食堂以外の場所で食事をしているところを見て、清国の海軍は問題無いと言い切る場面がありました。一つの逸話として描いてありますが、今まで見たことの無いような大きな軍艦を見せられた長崎市民の動揺は並大抵のものではなかった言われています。

その恐怖体験が、富国強兵に拍車をかけます。そうしなければ日本の独立が危なかったからです。今の尖閣諸島の軍事的緊張大きさに比べと政府の緊張感の無い姿勢があまりにも違いがありすぎます。当時の日本は官民あげて緊張感を募らせ、その脅威に立ち向かって言ったのです。

自分たちの生活を犠牲にしても日本という祖国を守ろうとしました。軍艦を買うために(まだそのころは強力な軍艦は外国に発注していました)、お金を拠出し、日本という公(おおやけ)を私(わたし)という快楽に背を向けて支えたのです。

その長崎事件というものがあったからこそ、日本人の中に神州を異人たちに踏みにじられてはならないという強い決意が産まれたといっていいでしょう。

それ以前の1808年にはフェートン号事件が同じ長崎で起こり、その際はイギリスが乱暴狼藉を働き、警護役の佐賀藩の家老は切腹し責任を取りました。

それから、外国の脅威を唱え始める人が出てきて、1840年のアヘン戦争、そして1853年のペリー来航で一斉に志士が全国に生まれるのです。

太平の江戸時代で50年、その後の明治初期で8年かかりました。

さて、平成の平和ボケ時代では何年かかるのでしょう?

染み付いたイメージを払拭するには、桜井よしこ先生の言う「歴史力」を身につけなければなりません。今の人が書いた文章で勉強するのではなく、当時の文章や情報をできる限り読むようにすれば、もっと理解が早まります。

偉人の心を知るためには、その人たちが詠んだ和歌を知ることが大切です。そして今の価値観やイメージを払拭して当時の人たちの気持ちに近づかなければ、本当の歴史を知ることはできません。

1886年のころに、友愛や憲法9条といってみてください。即国家の滅亡に繋がっていたはずです。


井上政典(歴史ナビゲーター) 甦れ美しい日本より
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